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☆★ ブランド豆知識 ★☆

ルイ・ヴィトンのお話

今回はルイ・ヴィトンっぽいことを書きます。


ルイ・ヴィトンの歴史について


初代ルイ・ヴィトンが誕生したのは1821年でした。
今から約180年も前のことです。
当然日本はまだ江戸時代。1821年は伊能忠敬が日本全図が完成させた年です。(マニアックな話)

1835年、14歳になったルイ・ヴィトンは養母との折り合いが悪くなり、家を飛び出しました。
2年間、400キロの旅の果てにたどり着いたのがパリです。

1837年、ルイ・ヴィトンはパリにいました。そこで荷造り用木箱製造兼荷造り職人の見習いとなり働き始めます。

 初代ルイ・ヴィトン



1854年、修行を積んだルイ・ヴィトンは独立。世界初の旅行鞄専門店を開業。
トランクを馬車に適した従来の丸いものから、上積みできる平らなものにしたトランクを考案します。この時代、急速な輸送技術の発達に伴い、ヴィトンが考案したトランクの需要が拡大します。

また、当時当たり前の素材であった豚皮から、軽くて防水加工の施したキャンバス地「グリ・トリアノン・キャンバス」を考案し採用。これが大評判になります。

ヴィトンのトランクの評判は、ナポレオン三世皇妃ユウジェニーが旅行用衣装箱を発注するまでになりました。それがきっかけとなり、ヨーロッパ中の王族が競うようにルイ・ヴィトンにオーダーするようになり、ルイ・ヴィトンの名声は一気に高まったのです。

1888年、『ダミエキャンバス』発表。
このダミエは大ヒットとなりました。しかしながらヒットが生まれると問題になるのはコピー品です。これはルイ・ヴィトンの頭を悩ませる存在でした。
1892年、初代ルイ・ヴィトンが死去します。

1896年、2代目ジョルジュ・ヴィトンが『モノグラムキャンバス』を考案します。
以前から手を焼いていたコピー品対策として、美しいデザインとして両立されたあのデザインが発表されたのです。ルイ・ヴィトンのイニシャルである『L・V』、そして日本の家紋からヒントを得たといわれている『花』のモチーフを複雑に織り交ぜることによって偽造防止を狙ったのです。

日本でヴィトンが流行っているのも何かの縁かも知れませんね。

ついでに、時代背景は日本では江戸幕府が倒され、明治新政府が発足して20年くらい経ったころです。


     モノグラムのスケッチ

それからラインナップを増え、
1959年3代目ガストン・ルイ・ヴィトンがソフトキャンバスを開発。
これにより、バッグなどの作成が可能になる。
現在も定番となっているキーポールを発表。
その後のスピーディやドーヴィルといったボストン系のバッグの原型となりました。また、ノエは5本のシャンパンボトルを持ち運ぶ為の巾着として発表されました。

         キーポル

また、自動車レースやヨットレースなどに協賛、参加し、1987年、ヘネシー社と合併『LVMH』(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)が誕生します。
その後、次々と世界の各有名ブランド会社の買収に乗り出し、現在では全体で従業員38,000人以上の巨大グループ企業が出来上がりました。

1997年にはニューヨークのデザイナー『マーク・ジェイコブス』を起用。
斬新なアイデアとデザインで世界を驚かせています。
日本人アーティスト村上隆とのコラボレーションによるパンダやチェリーなどの作品に驚かされたのも記憶に新しいところです。

今後も更なる飛躍を期待させられます。

   ヨットレース

マーク・ジェイコブス氏


途中から一気に年代が飛んでしまいましたが、読んでる皆さんも途中で疲れたでしょう?
書いてる自分も疲れました^^;

そんなヴィトンの商品がここで購入できます!


−ヴィトン家の当主−
●初代  ルイ・ヴィトン (1821〜1892)
●2代目 ジョルジュ・ヴィトン (1857〜1936)
●3代目 ガストン・ルイ・ヴィトン (1883〜1970)
●4代目 アンリ・ルイ・ヴィトン (1911〜?)
●5代目 パトリック・ルイ・ヴィトン (1951〜)
●6代目 ブノア・ルイ・ヴィトン (?〜)

ちょっと勉強不足で?が多くてすみません。
さて、ヴィトンヒストリーに話を戻します。

これまでの話を総括すると、ルイ・ヴィトン社は王侯貴族のオーダーを一身に受け、巨大企業になったかのような書き方をしましたが、実際は1977年まではフランスのローカルカンパニーであり、典型的なファミリー経営をしていました。実情は初代ルイ・ヴィトンから4代目アンリ・ルイ・ヴィトンまでは自身がデザイナーであり、職人であり、そして経営者でした。

ところが、4代目アンリ・ルイ・ヴィトンは大きな経営転換をします。
パリのルイ・ヴィトン本店にやって来る日本人観光客にヒント得ます。
それまで、ルイ・ヴィトン製品は日本でも高い評価は受けていましたが、日本での販売は代理店販売で代理店はフランス本国の4倍もの値段を付けて製品を販売していました。日本人にも海外旅行ブームが訪れ、フランスへ行けば日本の4分の1でヴィトン製品を買えるということで、パリの本店に日本人客が殺到したのです。

ここで、アンリ・ルイ・ヴィトンは大きな経営判断をします。自らは経営から退き会長になります。そして外部から招いた経営専門家に経営を任せます。社長に選出されたのは、鉄鋼会社を経営するアンリ・ラカミエ氏でした。
、ラカミエ氏は日本での直営店運営を決めます。

日本での販売責任者になったのが後にルイ・ヴィトン・ジャパンの社長となった秦郁次郎氏です。
日本での売れ行きは好調で、右肩上がりの成長をみせます。

その後、上述のようにモエ・ヘネシー社と合併、各有名ブランドを傘下にしつつも各ブランドのイメージを損なわなずグループとして成長を続け、現在、グループ全体の売上高は1兆円を超えている超巨大企業へと成長したのです。



     LVMHタワー



以上がルイ・ヴィトンの大まかな歴史でしょうか・・・。
なんだか壮大なスケールになってきましたね〜。
今後も大きく変わっていくかもしれません。明日のことはわかりません。
日本の一消費者として言わせてもらえば、どんな歴史があろうと、大きな企業であろうと、最高級ブランドであろうと、あんまり値上げはして欲しくないな〜というのが言いたいです。以上です。


さて、次回のお題は何にしようかな〜??
では、この辺でバイナラ!
またね(=゚ω゚)ノジャ、マタ!!

管理人GEn

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